No.57 フィレンツェに集いし者たち

今回の話題は、ディ・リービオと新生フィオレンティーナことフロレンティア・ヴィオラについて。
先日朝日新聞朝刊のスポーツ欄に、『36歳ディリビオ奮闘』との大見出しのもと、紙面の4分の1ほども割いた大きな記事が載りました。サッカー雑誌ならわかりますが、全国紙にまでこのような話題が載ることは嬉しい限りです。

さて、フロレンティア・ヴィオラって何!?という方のために、少しだけ説明しますと、イタリセリエAにはフォオレンティーナという名門クラブが存在していました。

あのロベルト・バッジョもかつて在籍し、サッカー日記の初回にも書きましたように、自分が生で観戦した当時のフィオレンティーナでは、バティストゥータとルイ・コスタの黄金コンビが他のチームを震撼させていました。

セリエAでも2度優勝し、コッパ・イタリアは6回も優勝、そして今はもうありませんが欧州カップウィナーズカップも一度制して、1926年のチーム創設以来、わずか2シーズンを除いて常にセリエAの舞台で活躍していた、名門中の名門です。
何年か前に月刊マガジンで連載されていたサッカーの漫画もこのチームが舞台でした。

というわけで、日本のファンにも馴染みの深いフィオレンティーナですが、昨シーズンは17位という惨憺たる成績でセリエB降格。
これだけならまだよかったんですが、なんとクラブ自体が破産・消滅。後に逮捕された会長の放漫経営により、セリエBへの登録料すら払えないというみじめなものでした。

数年前まではセリエA“ビッグ7”の一角を占め、スクデット争いそしてチャンピオンズリーグでも活躍したあのフィオレンティーナが、76年の歴史に幕を閉じた瞬間でした。

クラブが破産した場合には、その後を受けるチームはアマチュアリーグ(5部または6部)から再出発しなければならないというサッカー協会の規定の中、嘆願書のおかげもあってなんとかセリエC2(4部)からのスタートが許されるという特例が認められたものの、無名の若者だけがプレーするこの舞台、多くの有名選手は次々とチームを去っていきました。
キエーザがラツィオに移籍したのをはじめ、ヌーノ・ゴメスはポルトガルのベンフィカに戻り、モルフェオはインテルに移りました。他の多くの有力選手も皆チームを去っていきました。

しかし、彼らを責めることは誰にもできません、彼らだってプロのサッカー選手です。
格段に下がる給料を初め、待遇だって雲泥の差です。

そして、彼らは世界に名だたる選手たちです。彼らからしてみれば、素人同然のこんな舞台でプレーするよりは、自らに合った活躍の場を探すのは当然でしょう。

しかししかし、そんな中、愛するフィレンツェのため、チームへの残留を決めた一人の男がいました。
98年、02年と2度のW杯にも出場し、かつてはユベントスの栄光の歴史にも名を刻み、昨年はフィオレンティーナの主将として獅子奮迅の闘いを見せた、ご存知イタリア代表ディ・リービオです。

彼のもとにも、少なくともセリエAの3チームからオファーがあったといいます。
まだまだセリエAで十分に通用する選手ですし、他の多くの選手と同様に、実績と人脈を頼ってビッグクラブに移り、セリエAという舞台で、最後の一花を咲かすこともできたディ・リービオ。

しかし、彼の選択は「残留」でした。彼はこう述べています。
「セリエC2に落とした主将で終わるか、クラブの新しい歴史の1ページに名を刻むか。フィレンツェ市民の愛情にこたえるために、残留は難しい選択ではなかった」。
涙なしでは読めないコメントです。それでこそ、男の中の男。

現実の問題としては、やはり給料などは格段に下がってしまったようです。しかし、彼はそれについてもこう述べています。
「細かく計算していないけど、8割以上は減ったと思う。でも、人生はカネがすべてじゃない。家族は落ち着いたフィレンツェの街が気に入っている。2人の子供は学校が大好きなんだよ」。
こうインタビューに答えている時の、彼の笑顔が目に浮かんできます。

そんな彼のもとには、決して有名ではないもののセリエAでのプレー経験をもつ、歴戦の強者たちが集まってきました。その時のことを、チーム部門の全権を持つテクニカル・ディレクターはこう語っています。
「この話は是非お聞きいただきたいのですが、『フィオレンティーナに来る気はないか?』と、わたしに声をかけられた選手全員が、そのときすでに上のリーグでプレーしていたにもかからわらず、即座に『SI』(イエス)と返事をしてくれたのです」。

唯の一サッカーファンですら感動なしでは話せないこの物語、実際にピッチに立っている選手たちにとっては、ディ・リービオの“決断”にはほんとに心を打たれたのでしょう。
そんなディ・リービオのもとに、多くの選手が集まってきました。

チームメイトだけでなく、フィレンツェ市民の心もたちまち鷲掴みにしてしまいました。
1試合平均の観客数が2千人にも満たず、3千人も入れば盛況といわれるセリエC2のリーグ戦で、ホームスタジアムアルテミオ・フランキには、毎試合3万人近くが駆けつけ、年間シートもクラブの予想を8千人も上回る1万7千人が申し込むという人気ぶりなようです。

しかし、何も順調なことばかりではありません。肝心の試合のほうでは、3勝3分と無難に滑り出したものの、ディ・リービオ自身も「我々は注目されるから皆の標的になる。敵のモチベーションが自然と上がるんだ。」と話していますが、確かに他のチームにとっては敵意剥き出しでしょう。
自分たちのスタジアムでは3千人も入ればいい方なのに、フィレンツェに行ってみれば3万人近い大声援に敵は応援されている。燃えない方が嘘でしょう。

そんなわけで、初黒星を喫した後は1敗1分と足踏みし、10月の終わりには早くも監督が解任。
しかし、新監督のもと戦った3日の試合では2-0で勝利を収め、首位と勝ち点差5の6位につけているようです。

C1、B、Aと順調に昇格の階段を上がっても、セリエA復帰には最低でも3年はかかります。
先ほどのテクニカル・ディレクターもさすがにそんなに甘くはないと思っているようで、「おそらく1度や2度はつまづくこともあると思います。しかし、遅くとも5年以内には、セリエAに返り咲きたい。」と話しています。

36歳と決してもう若くはないディ・リービオも、「あと2年は現役で頑張る。それまでには何とかセリエBまで復帰したい。そうすれば、経営は安定し、一息つけるはずだから。僕は、残された競技人生のすべてをフィレンツェにささげる。」とやる気十分です。
2年とは言わずもう少し頑張ってもらって、ぜひ彼にはまたセリエAのピッチに立ってもらいたいものです。

かつて、常勝ユベントスの一員として無尽蔵の運動量で獅子奮迅の働きを見せ、ホームスタジアムデッレ・アルピや、ミラノのサンシーロ、ローマのオリンピコなど、イタリアを代表する大きなスタジアムの観衆を熱狂の渦に巻き込んできたディ・リービオ、そんな彼も今シーズンは、さびれた地方のスタジアムで、無名の選手たちと日々戦っています。

いつの日か、フロレンティア・ヴィオラがセリエAの舞台に帰ってくる頃には、フィレンツェの街には、数百年前に建てられた歴史上の偉大な人物たちの銅像と共に、ディ・リービオの銅像も建てられることでしょう。

個人的にも、フィオレンティーナは強い頃のチームを生で観戦し、フィレンツェの街にも行ったことがあるので思い入れも強いです。
いつかまた、ディ・リービオの銅像が建てられた頃にでもフィレンツェを訪れたいと思っています。

毎日のように、無名の選手たちとピッチを走り回っているディ・リービオ。彼の、そしてフロレンティア・ヴィオラの挑戦はまだ始まったばかり。すべては、今ここから。

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