時間軸を巧みに交差させた『アフタースクール』をこの前UPしたところで、今回はキューブリックによるフィルムノワールの金字塔、『現金に体を張れ』です。
前からずっと観たかった作品でしたが、ようやく観ました。
今まで、キューブリックの最高傑作は『バリー・リンドン』だと思ってましたが、今日から訂正ですね。
いやあ凄い、何一つ文句のつけどころはなく、完璧。
『運命じゃない人』や『アフタースクール』に比べ、“あの時実はこうだったんだ!”という“驚き”という点では劣ります。
でも、それが目的でこの構成を取っているわけではないですからねこの映画の場合は。
競馬場でサラブレッドが疾走するシーンから始まりますが、それに引っ張られるように、一言で言えば、スピード感ある編集が素晴らしい。
ただでさえ85分と短いのに、体感的にはそれよりもっと短い。
短い上映時間がさらに短く感じられるって、結構凄いことで、ぱっと思いつくのは『ヒズ・ガール・フライデー』ぐらいでしょうか。
時間軸を戻したり進めたりを繰り返すことによって、同時に進行している登場人物それぞれの見せ場を次々に見せ、畳み掛ける演出。ずっとクライマックスが続いている感じと言えばいいでしょうか。
今となってはそう珍しい手法でもないですが、問題は、これが1956年の映画だということ。
『パルプ・フィクション』の40年も昔。タランティーノがこの映画をリスペクトしてるのは有名ですが(影響はどちらかといえば『レザボアドッグス』の方に出てますかね)、40年も前にこんなに完璧にやられたら、『パルプ・フィクション』の凄さも霞んじゃいますね…。
当時リアルタイムでこれを観た観客たちは、凄い!と唸ったのか、戸惑ったのか、どちらにせよびっくりでしょう。
ペキンパー作品のカメラマンとして名高い、名手ルシアン・バラードのモノクロ映像も、どのシーンも絵になるかっこよさ。
主役は、『アスファルト・ジャングル』や『三人の狙撃者』のスタリーング・ヘイドン。
彼が出てくるだけでもうフィルム・ノワールという感じがしていいですね。
素晴らしいのが、エリシャ・クック・Jrとマリー・ウィンザーの夫婦。
フィルム・ノワールには欠かせない、気が弱く思わず喋ってしまう男と、金の事しか頭にない性悪女、どちらも典型的な役ですが、見事な典型ぶり(笑)
あと、強盗犯たちの会話にしては、やけに会話が知的なのも印象的。
中でも、競馬場で暴れるために雇われた主人公と旧知の大男が(見事な暴れぶりでした)、一番洒落たこと喋ってましたね。
「可もなく不可もなく暮らせ、個性は魔物だ」と主人公を諭したかと思えば、いざ現場に向かう時にはこんな会話。
「6時半ごろに戻るが、戻らなかったら頼みがある」
「何だね」
「スチルマンに電話して、用があると伝言を」
「妙な頼み事だ、どうした」
「大した事じゃないが、訳ありでな。昔、太陽の正体を見極めようとした男が、太陽を見つめ続け目をつぶした。この世の不思議さ、愛や死、この頼みもだ。電話を頼んだぞ」
とても、金が要るときはプロレスで稼いでいる大男の台詞とは思えません(笑)
ラストに向けては詳しく喋らない方がいいでしょうが、ラストの●●の舞い方は芸術的。何度も撮り直したんでしょうか、あの素晴らしさは狙って出来るものでもないと思うんですが。
ラストのラストも、“構図”のかっこよさが尋常じゃない。
傑作ぞろいのキューブリックですが、またもやその凄さを見せつけられました。
大傑作。
[原題]The Killing
1956/アメリカ/85分
[監督・脚本]スタンリー・キューブリック
[原作]ライオネル・ホワイト
[撮影]ルシアン・バラード
[出演]スターリング・ヘイドン/マリー・ウィンザー/コリーン・グレイ