“エンターテイメント”としての映画

外国映画 ぼくの500本

前回ハリウッドにはうんざりということを書きましたが、ハリウッドへの期待も込めて、今回はこんな話を。
題材は、双葉十三郎氏とバリー・ウォン監督の言葉から。

まずその前に、以前『キル・ビル』の記事で、『ホワイトハンター ブラックハート』の中の、「映画を作るときは誰がそれを見るかなんて考えてはいけない。ただ作ればいいんだ。自分の作りたいものをな」という台詞を紹介しました。
そしてそれは、イーストウッドの思いでもあると。

自分の作りたいものを作る、これが許される監督はそう多くありません。

すでに名作・傑作を撮っており、名匠・巨匠と呼ばれているからこそ、資金のことを気にせずにこういうことができるわけです。
あのイーストウッドですら、『ミリオンダラー・ベイビー』では資金集めに相当苦労したようですが。

そして、才能のある人たちが作りたいものを作るわけですから、多くの場合それは素晴らしい作品になるわけです。

アキ・カウリスマキ、マイク・リー、ケン・ローチ、エミール・クストリッツァ、テオ・アンゲロプロス、ヴィクトル・エリセ、ジム・ジャームッシュなどなど、監督名だけで観に行くような監督たちはみんなそうです。

その一方で、ハリウッド大作を筆頭に、“エンターテイメント”としての映画があります。

そんなエンターテイメントとしての映画について、今も忘れられない言葉があります。

このブログでも何度か紹介しています、双葉十三郎氏の『外国映画ぼくの500本』という本。

雑誌『SCREEN』に掲載されていた例の「ぼくの採点表」から選りすぐった500本なわけですが、『市民ケーン』と『ストリート・オブ・ファイヤー』に同じ点をつけるということだけでも、双葉さんの映画への接し方が大好きです。

そして、この本の中に、涙が出るほど素晴らしい一節がありました。
それは、ウォルター・ヒル監督やジョン・バダム監督について触れた箇所です。

彼らは高度なプログラム・ピクチャー作家ともいうべき人たちで、黙々と娯楽映画を作り続けている。彼らは、ジム・ジャームッシュやヴィム・ベンダースのように、映画雑誌や一般誌の映画特集で決して論じられることがない。しかし普通のファンは見終わって、監督の誰かも知らず、「今日の映画けっこう面白かったね」とおしゃべりしながら席を立ってくれるのである。こういうプロたちもいる。
via: 外国映画ぼくの500本

この言葉にはほんとにガツンとやられました。
自分はそれまで、正直に言うと、先ほど並べた監督たちのような作品に比べ、娯楽作品を下に見ているようなところがありました。
もちろん観ないわけではなくて観ますし、大好きな作品もたくさんありますが。

ただ、前回書いたような惨状を思うと、またもや下に見たくもなりますが。
この言葉を書いた双葉氏ですら、CG全盛の最近のハリウッド映画にはうんざりしてるみたいですし…。

ここで話は急に香港に飛びますが、管理人も最近ずっとはまっている香港映画。

先ほど並べたような監督名だけで観に行く筆頭は、ウォン・カーウァイ監督でしょう。
管理人も大好きで、『愛の神、エロス』はまだ観れていませんが、それ以外は全部観ています。
どの作品も好きですが、中でも『恋する惑星』『楽園の瑕』『欲望の翼』の3本はたまらなく好きで、繰り返し繰り返し観ています。

一方、娯楽の頂点はもちろんバリー・ウォン監督。管理人はまだ少ししか観たことがありませんが。

最近バリー・ウォン監督のインタビューを読んだんですが、「ご自分の映画スタイルを一言で表現するとしたら?」という質問に、こう答えていらっしゃいました。

私の映画のスタイルは、お客さんを楽しませ続けるものであること。自分が先に楽しむものじゃない、ということです

さすがバリー・ウォン監督、一言で香港映画の素晴らしさを言い表しています。
これだから香港映画はやめられません。

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