『わが谷は緑なりき』(ジョン・フォード)

わが谷は緑なりき

“炭鉱もの”というカテゴリーを作ってしまってもいいほど、当ブログでは常連の炭鉱ものですが、その炭鉱ものの先駆的傑作。いよいよ真打ち登場です。

監督はあのジョン・フォード。『駅馬車』『荒野の決闘』などの傑作西部劇であまりにも有名ですが、こちらも負けず劣らずの傑作です。

そして、各分野に渡って素晴らしいのがこの映画で、子役、音楽、恋愛、ユーモア、当ブログの常連である頑固親父、さらに泣けて、どれも文句なしのレベルです。

まず一番最初に書いておかなければならないのは、この映画がモノクロだということ。
観る前は、『わが谷は緑なりき』というタイトルから、どんな素晴らしい緑を見せてくれるんだろうと思っていたので、最初は正直えっモノクロ!?と思ったんですが、これは結果的に大正解。

当ブログでも、想像の余地を残してくれるシーンが大好きというのを前に書いたことがありますが、どんなに美しい緑を見せられても、わぁきれいとは思っても、見た時点でそれ以上にはなりません。
見せられたその映像が上限として設定されてしまいます。

しかし、モノクロだからこそ、この世のものとは思えない美しさや、想像もつかない美しさを想像する(矛盾してますが)ことも自由なわけで、いくら作り手が頑張っても作りようがない美しさを、観ているこちらが頭の中で勝手に思い描くことができるのです。

自分の頭の中にも、それはそれは美しい緑が思い描かれましたが、ご覧になる皆さんそれぞれの頭の中にも、想像を絶する美しい緑が思い描かれることでしょう。
そういう意味で、モノクロにしたのはほんとに大正解だったと思います。

そして、想像の中でなく、目に見える画面ももちろん美しいの一言。
実際の谷では撮影できず村全体がセットのようですが、よくもまぁ作ったなぁという、溜息の出る美しさ…。

わが谷は緑なりき ジョン・フォード

物語は、谷を去ろうとするある老人の回想形式で進みます。物語の中では末っ子のヒュー。

舞台は1870年代のウェールズ。両親と6人の息子と1人の娘。このウェールズというのがまずポイントで、ウェールズ、スコットランド、アイルランドといった“ケルトの末裔”に惹かれる自分にはたまりません。

そして、舞台が1870年代ということもあり、この当ブログの常連である頑固親父の存在感がまず最高。昔の日本でいうところの家父長制みたいなものでしょう。

ヒュー以外の5人の息子たちは親父と共に皆炭鉱で働いているわけですが、家に帰ると、まず親父が母親に日当を渡し、その後母親がスカートを広げ、息子たちから日当を没収します。
それを食事後に親父からみんなに小遣いとして渡すのです、しかも長男から順に。

こういった何気ないシーンの一つ一つがほんとに微笑ましくて素敵です。

食事も、親父が手をつけるまでは誰も食べてはいけません。長男がパンに手を出そうものなら、ビシッと親父の平手打ちが飛んできます。そして食事中は無言です。
「食事中は無言、食事に勝る話などない」

母親についてのこのこの言葉も見事。
「母親は最後に食卓につき、最初に立つのが常だった。
父が一家の頭なら、母は心臓だった」

ほんとに平和を絵に書いたような家庭ですが、炭鉱ものには親子の対立がつきもので、この映画も選に漏れません。
食事中の“沈黙”を破ったのは息子たち。
「結束して立ち上がろう」
時代が変わっていき、ストライキや賃金カットなどが続く中、息子のうちの何人かは谷を去って外国へ移住。

親父は経営者側についたと街の人々から冷たい目で見られ、窓に石をぶつけられたりした時、頑固親父に負けない肝っ玉母さんのど根性炸裂!
集会に乗り込んでいって、「主人に何かしたら、私が承知しないよ。この手で殺してやる、神にかけて誓ってもいい」
頑固親父に存在感で一歩も引けをとらないこのお母さんも抜群です。

そのお母さんとヒューが、乗り込んでいった集会からの帰り道に、真冬の冷たい川に落ち寝込みますが、復帰祝いに、街の人々が花を持って家の前に集まってきます。
そして、皆で合唱を始め歌で回復の喜びを表現するのです。このシーンは泣けます…。

“ケルトの末裔”ということは吟遊詩人の末裔。生活と歌が切り離せない人々ですが、この映画でも、炭鉱夫たちが仕事からの帰り道、誰からともなく歌い出すと、それがいつの間にか賛美歌の大合唱になっているシーンなど、ほんとにたまりません。

歌と共に人々にとって欠かせないのが教会。
ヒューが親父から小遣いをもらってお菓子を買いに走りますが、その途中で教会の前を通ります。
その時ヒューは、ちゃんと立ち止まって帽子を脱ぐのです。
「教会への敬意が、父の最初の教えだった」

ヒューが家族で初めて学校に行くということで、入試のために、牧師さんから算数を教えてもらうシーンも外せません。
ヒューと一緒に親父も牧師さんから言われた問題を考えます。
細かいことは省略しますが、3つの大きさの違う穴が開いた風呂に水を入れると、何分でいっぱいになるかというような問題。

ヒュー本人よりは親父のが一生懸命なのが笑えますが、「穴あきのフロに水を入れるの?穴のあいたフロに水なんか入れないよ」と母親の強烈な一言。
このシーンはほんとに笑えます。

そして、無事合格したヒューの初登校。谷を一つ越えて行かねばならない“田舎者”のヒューは完全にみんなから浮いていて、先生にも馬鹿にされ、生徒にもいじめられてボコボコにされて帰ってきます。

そんなヒューを見て兄たちはびっくり。
「転んだんだ」とヒューは嘘をつきますが、殴られたのは明らかです。
そこで兄たちが言った言葉にニンマリ。「大丈夫か?」ではなく「勝ったか?」
もちろん負けたヒューは黙り込むしかありません。

その様子を見た親父は、怪我を気遣うでもなく、なんと、元ボクサーの男にヒューの特訓を依頼。
「傷一つに1ペニーやる、鼻血は6ペンス、鼻を折ったら2シリングだ」と親父。
「今度ケンかしたら、私は口をきかないよ。鼻をつぶし私を悲しませる気?」と言う母親に、親父の強烈な一言。
「男なら戦う」
ケルトの血が流れる、誇り高きウェールズ人の気質が表現された極上のシーン。

わが谷は緑なりき ドナルド・クリスプ

以前サッカーについて書いた時には、アイルランドvsドイツのあの死闘に“魂の咆哮”というタイトルをつけ、司馬遼太郎氏の“アイルランド人は、客観的には百敗の民である。が、主観的には不敗だと思っている。”という言葉を紹介しました。

映画『ブレイブハート』ではスコットランド人の誇り、この映画はウェールズ人の誇り。
常にイングランドに敗れ、這い上がり、立ち向かってきたケルトの末裔。

サッカーやラグビーでは今もイギリス代表というものは存在せず、イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズとそれぞれ代表が存在しますが、それぞれが抱える民族の誇り。

この部分に無性に惹かれるものがあって、ロンドンには行ってみたいことは行ってみたいもののそんなに行きたいとは思わないものの、エディンバラやダブリンやカーディフには行ってみたくて仕方ありません。

ずいぶんと話がそれてしまいましたが、子役、音楽、ユーモアときて、残るは恋愛。
娘が一人と先に書きましたが、その娘と教会の牧師さんの純愛。これがまたいいんです…。
恋の行方は伏せておきます。

名言には事欠かないのもこの映画。
先の「食事に勝る話などない」も好きですが、牧師さんが別れ際にヒューに言ったのがこの一言。
「握手はしない、互いの心の中で生きよう」

炭鉱ものの素晴らしさを見事に言い表したのが、仕事帰りに炭を落とすため体を洗うシーンのこの言葉。
「ほとんどの炭じんは落ちるが、一部は体にシミを残す、鉱員の勲章だ。
いくらこすっても、勲章は消えない」

しかし、一番はやっぱりこの言葉でしょう。
「わが谷は緑だった」

目を閉じると景色が甦って来る全編にわたる圧倒的な映像美と、チャップリンにも負けない人間に対する溢れんばかりの愛情。

ジョン・フォードは西部劇しかご覧になっていない方にはぜひ、そして炭鉱ものの先駆的傑作という意味でも、全ての方にご覧になっていただきたい作品です。
必見!

[原題]How Green Was My Valley
1941/アメリカ/118分
[監督]ジョン・フォード
[出演]ウォルター・ピジョン/モーリン・オハラ/ドナルド・クリスプ

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