「説明台詞」はいらない

79年前の1927年10月6日は、世界で初めてトーキー映画が公開された日らしいです。
未見ですが、残り3分の1からトーキーに変わるという『ジャズ・シンガー』ですね。

サイレント時代の俳優は、どんなに悪声でも、英語の訛りが酷くても、容姿が端麗ならそれでOKだったわけですが、悪声や訛りの酷い俳優はたちまち職を失うことになったわけです。
そこらへんの内幕は、以前UPした『雨に唄えば』が詳しいので、未見の方は「Singin’ In The Rain」を楽しむついでにそちらをご覧になってみてはいかがでしょうか。

サイレント映画は、当ブログでは3本UPしています。
チャップリンの『キッド』、ルビッチ監督サイレント期の代表的傑作『ウィンダミア夫人の扇』(これのリメイクが『理想の女』)、21世紀を目前にしてモノクロのサイレントを発表したカウリスマキの『白い花びら』

どの作品も、話の展開上どうしても必要な核心部分は字幕が出るものの、基本的にもちろん台詞はなし。
ですが、何一つ困ることはありません。

一番わかりやすいのはチャップリンで、『モダン・タイムス』に代表されるように、動作で笑わせてくれるので、これはある意味簡単です。

一番凄いのは『ウィンダミア夫人の扇』
役者の口は動いていながら何を言っているかは聞こえないわけですが、ちょっとした目の動きや、小道具の唸るような使い方で、どんなことを話しているのか手に取るようにわかります。
そして、80年後の現在でも、こんなにお洒落な映画はそうはありません。

この前『マイアミ・バイス』について書いた時に、「“描かなくてもわかる”あの先の数分間を描かずに、さっと幕を下ろすあたりはさすが」と 書きましたが、最近はこの“描かなくてもわかる”ことまで描いてしまう映画があまりに多い。
それに加え、「説明台詞」があまりに多すぎる。

目の前に映像があるのに、その状況をわざわざ俳優が台詞で説明したり、登場人物の思いや、作り手のメッセージが、一から十まで台詞になっています。
ずいぶんと観客もなめられたものですが、作り手から言わせれば、言わなきゃわかんないだろう?ということでしょう。
確かに、インターネットでいろいろ感想を見ていると、「~のシーンの意味がわからない」という言葉をよく見かけます。

ですから、これは作り手だけの責任でもなくて、お互いに悪循環でどんどんこういう事態が進んでいるんでしょうね。

トーキー映画記念の日に、こんなことを考えてみました。

【関連記事】
『キッド』(チャールズ・チャップリン)
『ウィンダミア夫人の扇』(エルンスト・ルビッチ)
『白い花びら』(アキ・カウリスマキ)