カンヌ映画祭で前例のない20分間に及ぶスタンディングオベーションが起こり、審査委員長デヴィッド・リンチが急遽特別賞を作ったという、その事実に違わぬ、噂どおりの衝撃作でした。
タイトルの通り、コロンバイン高校で起きた銃乱射事件がメインなわけですが、なぜアメリカ社会から銃が無くならないのかというのは昔から言われてきたことで、よく言われているのは建国以来の歴史や、武器の製造、販売、そして輸出が基幹産業となっているため、利益を生むからというもの。
自分の中での認識も、その程度のものでした。
あの事件が起こった時に、メディアや専門家たちが挙げた原因というのも、映画やテレビやゲームにおけるバイオレンスの氾濫、離婚などの家庭の崩壊、そして貧困や高い失業率などなど。
それらも原因の一つではあり間違ってはいないのでしょうが、この映画ではそれらに簡単に反論してくれます。
ゲームは日本の方が遥かに進んでいるし、離婚率はイギリスの方が高く、アメリカよりも貧困や失業にあえいでいる国は当然あると。
それなのに、アメリカだけなぜ銃犯罪がずば抜けて多いのかと。
銃がなぜ無くならないのかという問いとともに、なぜ銃犯罪の数がアメリカだけ飛びぬけているのかという問いについては、自分の中では、銃の所持率がずば抜けて高いからその分銃犯罪も多いんだと思ってたんですが、これもいとも簡単に覆されてしまいました。
カナダとの比較が出てきますが、カナダでは国民の銃所持率はむしろアメリカより多いのです。それでも、銃犯罪による死亡者はアメリカの約百分の一。
銃がたくさんある=銃犯罪による死亡者も多いという自分の中の図式は、いとも簡単に破られてしまいました。
先ほども書いたように、識者たちが挙げる原因が説得力をもたない中、他の国々が銃による死亡者が年間100人にも及ばす、多くても数百人代なのに対し、アメリカだけは軽く1万人を越えているわけです。
ただ銃が多いということが理由ではないということがわかったら、行き着く先は“アメリカ”そのものに理由があると考えるしかないとマイケル・ムーア。
そして、行き着いた先が、“恐怖”でした。
彼のインタビューにわかりやすい言葉が。
「恐怖のせいだ。人は普通、貧しい人を見ると可哀そうだと思う。ところがアメリカ人は貧しい人たちを見ると『何かされそうで怖い』と思うんだ。ひどい個人主義だ」
建国以来常に何かに怯えてきたアメリカ。この、常に何かに怯えてきたアメリカの歴史というのは、アニメによって表現されていますが、このアニメの部分にこの問題の本質がすべて含まれていると言ってしまってもいいほど、ほんとにこのアニメは良く出来ていました。
本や歴史の授業なんかより遥かにわかりやすく、そして核心をついており、説得力も十分。
イギリス人を恐れ、インディアンを恐れ、それに勝つと今度は仲間内で恐れ、黒人を恐れ、常にその恐怖に勝つために武器すなわち銃を必要としてきた白人たち。
黒人は、報復するどころか、ただ平和に暮らしたかっただけなのに…。
建国以来まだ300年にも満たない歴史しかないアメリカですが、この歴史がないというのは結構大きいと思います。
最近、アメリカはイラク問題について意見の対立するドイツやフランスのことを、“古い欧州”と非難していますが、当のドイツやフランスにとってみれば“古さ”はむしろ誇りであり、国連の場でも、中国の代表が「四千年の歴史を持つ古い国から忠告をさせていただきます」みたいな言葉で、強烈な皮肉を浴びせました。
しかし、歴史がないということはアメリカ自身が誰よりもわかっていて、歴史や伝統がないかわりに、“力”に走るしかないのです。
それは言ってしまえば、“余裕のなさ”ではないかと思います。
力を誇示して世界に影響力を及ぼさないことには、どんと構えていられるだけの“余裕”がアメリカには感じられません。
そういう点では、欧州の諸国には余裕が感じられます。
そして、問題の核心が“恐怖”にあると誰よりも見抜いていたのが、マリリン・マンソンでした。
コロンバイン高校の事件の犯人が心酔していたため、この事件が彼のせいだとされ、コンサートの中止にまで追い込まれたわけですが、彼へのインタビューにびっくり。
その普段のパフォーマンスからは想像できないインタビューへの受け答え、そして話すその内容。
すべての根源にあるのが“恐怖”だとズバリ見抜いている彼、マイケル・ムーアも「彼のおかげで映画のテーマが見えてきた」と語っているように、マリリン・マンソンが語ったことが一番核心をついていました。
問題の本質は恐怖にあり、それにおおいに関わっているのがメディアであると。
「メディアは恐怖と消費の一大キャンペーンをつくりだす。そしてこのキャンペーンは、人々を恐がらせることによって消費へと向かわせようとする発想に基づいている。その恐怖心が人を銃に向かわせるのだ」と。
このメディアの影響力についても、とてもわかりやすく描かれていました。
メディアはもちろん流すニュースを“選択”できるわけですが、日本でもよくやっている「警察密着24時間」みたいな番組では、なぜか容疑者は黒人ばかりで、黒人が警察に手錠をかけられるシーンだけがひたすら流され、これによって、何かあったらまず黒人の仕業だと、無意識に皆がそう思ってしまうまでにすでに刷り込みが行われているのです。
この刷り込みはほんとに恐ろしいものだと改めて思わされました。
映像のもつ影響力という点では、Kマートを弾丸の販売中止に追い込んだエピソードも圧巻。
企業にとっては、映像によって流れる企業イメージが何よりも大事、そのことをちゃんと見抜いているマイケル・ムーアが採った手段が、コロンバイン高校の事件の被害者と一緒に、Kマート本部へ突撃取材に行くというもの。
しかし、予想通り、広報担当が「社長でないと答えられない」とお決まりの回答。
ところが、翌日にマスコミと一緒にまた行くからと言い残しておくと、なんとKマートの方から、3ヶ月かけて段階的に販売を中止するとマスコミに対し発表。これには当のマイケル・ムーアもびっくり!
どんな偉い人が声高に叫んだところで実現はしそうにないところを、カメラ一つの突撃取材によって実現してしまったのです。
何をしようが結局自分たちの力では世の中なんて変えられない、そんな風潮を吹き飛ばすかのように、“世の中を変えられる”ということを実感させてくれるシーンでした。
他には、先ほどカナダとの比較という話が少し出てきましたが、カナダ人へのインタビューも、アメリカ人が持つ“恐怖”というものをより鮮明にするものでした。
カナダでは田舎はもちろん、大都会でさえ、みんな家の鍵を閉めることなどしないそうです。
それで現に強盗に入られたと言っている人もいましたが、それでもその後も鍵を閉めることなどしていない様子。
カナダ人が言っていたことがとても印象的でした。
「鍵を閉めるということは、自分自身を閉じ込めることだ」
カナダの人たちは、アメリカ人は何をそんなに恐れているの?と不思議がっていました。
クライマックスは、NRA(全米ライフル協会)会長チャールトン・ヘストンへのアポなし突撃取材。
チャールトン・ヘストンといえば、個人的には最後にお目にかかったのはティム・バートン版『猿の惑星』でしたが、こんなこともしていたのとまずはびっくり。
それにしてもこのNRA、強力な銃保持政治圧力団体であるこの団体は、全米各地で銃規制運動潰しに動き回り、コロンバイン高校の事件の直後にも、悲しみに沈む住民の感情を逆なでするかのように、現地で大規模な集会を開いたのです。
これには開いた口が塞がりませんが、ブッシュ大統領の父であるブッシュ元大統領も会員であったことからもわかるように、共和党の強力な支持母体でもあるこの団体、現政権の性格の一端もこういったところに伺われます。
マイケル・ムーアのインタビューに対し、言葉を濁しながら答え、最後には途中で取材を打ち切って席を立ってしまったチャールトン・ヘストン。
その後ろ姿は、哀れ以外のなにものでもありませんでした。
コロンバイン高校の事件と並んで登場する、フリントでの殺人事件については、事件の事実自体がまさに衝撃。
当時ずいぶんとニュースにもなりましたが、6歳の少年が6歳の少女を銃で殺害したのです…。この事実だけですでに十分でしょう。
それにしても、ジーパン、Tシャツ、野球帽といったラフな格好で、カメラ一つで突撃取材に行くマイケル・ムーア。
「なぜ?」というその姿勢と、圧倒的な行動力にほんとに脱帽。
最後に、カンヌでは絶大な評価を受けた本作品ですが、肝心のアメリカ人はこれを観てどう思うのでしょうか。
みんながみんなデヴィッド・リンチのように感じれば、今頃こんなことにはなっていないでしょうが…。
良いとか悪いとかを超えて、現代に生きる人すべて必見と言ってしまってもいいほど、この映画だけは、“観るべき”1本だと思います。
[原題]Bowling for Columbine
2002/カナダ・アメリカ/120分
[監督]マイケル・ムーア
[出演]マイケル・ムーア/チャールトン・ヘストン/マリリン・マンソン