主題歌「遥かなる山の呼び声」をバックに映し出されるワイオミングの雄大な自然、そこに現れた一人の流れ者、開拓者一家のところにとどまることになった彼は、次第に打ち解けていくが…。
この映画が他の西部劇と決定的に違うのは、主役の視点ではなく、主役を慕う子供の視点から描かれていること。
そのため、西部劇お決まりの決闘や馬での疾走よりも、家庭劇と言ってしまってもいいほど、普段の親子とシェーンのやりとりが丁寧に描かれています。
そして、なんといってもジョーイの可愛いこと!
可愛いといっても、『キッド』や『コーリャ 愛のプラハ』とはちょっと違って、見た目が可愛いというより、存在そのものが抜群に可愛い。
優しい両親に愛されながらも、何かが足りなかったジョーイ、そこへ訪れた流れ者シェーンとの出会い。
故淀川長治氏の名言を借りれば、「孤独と孤独の握手」。
ジョーイだけでなく、母親もシェーンに惹かれていきます。
でも、母親はジョーイに、「彼をあまり好きにならないで」
「どうして?」と問い返すジョーイに、「いつか出ていく人よ、つらくなるわ」
いいですね~こういうやりとり。
夫婦の結婚記念日に、みんながお祝いをしてくれ、ダンスに興じる人々。
妻とシェーンが踊るのを、なんとも言えない表情で見つめる夫。
罠だとわかっていながら、殺されることがわかっていながら、悪徳牧場業者のところに乗り込んで行こうとする夫。
必死で止める妻に、「万一 俺が死んでも君は大丈夫だ。俺より幸せにしてくれる人間がいる」、泣けます…。
こんな家族のやりとりだけでなく、西部劇だけあってちゃんと決闘も用意されていて、前半の殴り合いの迫力も凄いですが(覗いているジョーイの表情がいい!)、なんといってもジャック・パランスとの決闘。
存在感ありすぎのジャック・パランス、いかに早撃ちかを散々観客にアピールしておいて、いざシェーンとの勝負の時。
対峙する二人。
不敵な笑みを浮かべるパランスが一言、「抜けよ」。
くぅ~、痺れます…。このシーンの緊張感は、セルジオ・レオーネにはかなわないものの、なかなかのものです。
シェーンとジョーイのこのやりとりもたまりません。
「行かなきゃ」
「なぜなの?」
「それが俺の生き方だ」
そして、あまりにも有名な「Shane, come back!」
最後に、『ペイルライダー』について書いた時に、「『シェーン』のリメイクなどと言われていて、確かにそのままのシーンもありますが、やはり同じイーストウッドの『荒野のストレンジャー』のリメイクでしょう。」と書きましたが、それはこの映画を全編ちゃんと観る前の話で、観た今では、細部に渡るまで二つの映画は酷似しています。
ラストシーンはもちろん、流れ者の主人公、置いてくれた家族の地域でのリーダー的地位、そして悪徳地主との対立、気の強い男が挑発に乗って殺されるくだりなど、完全に一緒です。
セルジオ・レオーネとドン・シーゲルを師と仰ぐイーストウッドですが、これを観ると、『シェーン』への思い入れは並々ならぬものがありそうです。
[原題]Shane
1953/アメリカ/118分
[監督]ジョージ・スティーヴンス
[音楽]ヴィクター・ヤング
[出演]アラン・ラッド/ヴァン・ヘフリン/ジーン・アーサー/ブランドン・デ・ワイルド/ジャック・パランス/ベン・ジョンソン
今回は、イーストウッド入魂の西部劇。 『シェーン』のリメイクなどと言われていて、確かにそのままのシーンもありますが、やはり同じイーストウッドの『荒野のストレンジャー』のリメイクでしょう。 オープニング、荒野を馬で駆ける一団と、のどか[…]